Binbooo Life (^^)

貧乏だけど、楽しく生きたい♪

わたしの転機

2度目の転職で務めた会社は、とある社団法人でした。

社団法人って、おじいさんたちがお茶すすりながら

ポンポンはんこを押しているイメージだったのですが。

って、勝手すぎるやろ!社団法人の方ごめんなさい(笑)

 

実際働いてみたらとても大変でした。

人数が少なく、正社員は3~4人、残りの5~6人は

関連組織からの天下り(ToT)

なかなか分業制にできなくて、一つの事業の計画から実行、

銀行の出入作業、その他雑用まですべてやらなくてはいけなかった。

おまけに、管理している団体の会議資料から経費管理など

とにかくやることが多かったのです。

でもそれなりにやりがいはあったし、

普通に生活していたら出会えなかった方たちと出会えたり、

仕事が大変なのは別によかった。

 

だけど、上司が・・・合わなかった。

私が入社したときの上司は、なんと1年で定年退職だったのです。

そのときの上司はいろいろ仕事を任せてくれたり、

上手に使ってくれたのでよかったのですが。

 

次に上司になった人が、私の中で史上最悪でした。

そもそも、いつの時代?ってほど男尊女卑意識が強く、

いつまでたっても「事務の女の子」扱い。

それも、私は正職員だったからその上司と立場は同じ。

もう三十路で女の子といわれる年ではないし。

だけど、全く仕事のできないその上司はそうやって

言うことで自分を保ったのだと思う。

「女」というだけで下にみる、

「女」が目立つのが気に入らない人はまだまだ

世の中にはいるのです。

 

その年、とある事業で大きなイベントを開催することになった。

私が担当をすることとなったのですが、

発注元としても会社としても初の試みだった。

大きな予算がついていたので失敗は許されなかった。

何度も発注元の担当と協議しつつ、慎重に進めていった。

その中で、その上司の無能さが露わとなった。

本当に何もできない人だった。

私が作った司会原稿のチェックをお願いしたら、

誤字さえ直さず、無言で返された。

もう諦めて直接発注元の担当と話したりするようになった。

 

そしたら、無能な奴ほど馬鹿なことをする。

私宛の大事な電話を回さない、頼んでおいた伝言の

メモをわざと捨ててしまう、、、など、

幼稚ないやがらせを私にするようになった。

そんなことが続き、心底嫌気がさした。

びっくりするぐらい老けてしまった。

もうやめようと思った。

 

それまでは、なるべく自分の専門に近い仕事を

したいと思っていました。

だけど、その上司と出会ってしまったことで、

もうこの分野からは離れようと決めました。

それで、選んだのが日本語教師の道!

 

ずーっと興味はあったけど、

それこそ全くの専門外だったこと、

資格を取るには多大なるお金と時間がかかること、

などいろいろあってなかなか踏み出せずにいました。

だけど、これ以上日本でサラリーマン生活を続ける

ことに限界を感じました。

同年代に比べたら給料は安いし、貯金も少ないと思うけど、

今なら1年ぐらい無職でも大丈夫だろうって思える

くらいの貯金はありました。

そこで、「そうだ!台湾へ行こう!!」となり、

勢いそのままに養成講座へ申し込み、今に至ります(笑)

 

長くなりましたが、これがわたしの転機です(^^)